政治を志すきっかけ
他人事ではない。
私が政治家を志したのは中学生の頃です。きっかけはニュースでの「中東紛争」でした。歴史が好きで、読む本といえば歴史ものばかりだった私にとって、この出来事は今だけの現象ではなく、長い歴史の中での出来事と映りました。「民族」「宗教」歴史の中での遺恨、未解決の事象が現在の出来事につながっている。そして政治の誤り。
今の日本にとってもこれは他人事ではない、これが子供ながらに思ったことでした。祖父母の年代の方からの何気ない会話の中には必ず先の戦争(あえて先の戦争と表記します)の話題が出てきます。戦時中のつらかったこと、そして相手国への感情などです。この相手国への感情は、特に中国大陸への感情は悪いものが多く、この「感情」こそが受け継いではならない、中東にみる同質のものではないかと考えました。事実を検証、反省し今後に生かすことは非常に大事です。ただし、感情を受け継ぐことは不幸を受け継ぐことになる。人の歴史は戦争史と言っても過言ではありません。憎しみ等の感情はそのなかでも大きなウェートを占めてきたのは間違いありません。私はこの「感情」を引き継がなく、ただ事実はしっかりと残す、これが戦争当事者からみた私たち第三世代にとって非常に重要ではないかと考えました。直接武器を取る、もしくは爆撃にさらされた第一世代にとってその「感情」はすてることは難しいと思います。また、それにより親を亡くしたり、戦後の混乱期を生きてきた第二世代にとっても同様に無理強いはできません。ただ、私たちの世代までもがその「感情」受け継ぐことは、それは何世代にもわたる継承を意味し、さらには紛争の火種を受け継ぐことにもなりかねない。これは周辺国にとってもそうであり、当事者でない私たち第三世代が「事実」と「感情」のそれぞれの解決をはかっていかなければならない。それが出来るのが政治の舞台である。子供心にもそう思ったのが志したきっかけでした。
地方がかかえる様々な問題
政治家になるにはどうしたらいいか。「地盤」「看板」「かばん」のいわゆる3バンが無い私にとって今の選挙制度そのものに問題があると考えるようになりました。カネのかかる選挙、一票の格差に注視するあまり都市部と地方の国会議員数の格差、選出地への利益誘導など選挙制度はさまざまな問題を抱えている、その改革の必要があると考えています。
都市部と地方の国会議員数の格差。これが地方の疲弊を促している一因ではないかと考えます。そして国会議員のそもそもの役割や自治体首長や地方議員の役割を考える中で、地方分権のあり方も決めていかなければなりません。
世界経済がグローバル化してきた中で、地方の疲弊が進んできています。ただ、グローバル化は考え方によっては地方を地方でなくさせる、そう考えます。例えば私の住む能登半島は、(最近はようやく使われなくなりましたが)裏日本との言われ方をしていましたが、これはアメリカ、東京からの裏であるだけであり、中国大陸からみれば「表」になります。能登半島は行き止まりではなく、中国への突き出た先端の地と考えることができます。国際港湾及び、資源獲得競争が激しくなってきていますが、社会資本の整備も含め、経済交流の活性化をはかることにより、日本海岸地域の発展と、アジア諸国との友好関係の構築を図っていきたいと思います。
地方疲弊のトライアングルを強みに
一次産業の衰退と地方の衰退が並行してすすんでいます。しかし、一次産業は宝の山。資源としても、国の自立においても欠かすわけにはいきません。仮説、実行、検証の先に解決策は見えてくると考えます。そのためにも証券化は一つの手段を与えてくれるものと考えます。
過疎化、高齢化、少子化は地域疲弊のトライアングルといわれています。ただ、この過疎化スパイラルは止めることはできると考えます。高齢化は消費人口の延長を意味します。また、農業等も含めた労働力の供給と要介護、要医療の対象者の増加も意味します。さらには地域「むら」の伝統の継承と子育ての環境としても有益であると考えます。高齢化は悪しきものではなく、むしろ長寿をめでたいことと認識する当然のこととして考えると、この過疎化スパイラルの出口は見えてきます。消費の拡大、店舗増、雇用者増、若者の地元定着、子供増、地域の良識の目による子育ての安心、僻地医療対策の解決。一つ一つの各個解決ではなく、何が現状においてもっともツボとなっているのかを見極め突破をしていく。交流人口の拡大、企業誘致、U・Iターンの推奨はもちろん、この高齢化の積極的な推進を大きなグランドデザインを持つことによって、過疎化を止めるという発想を超えて、高齢化社会を迎えた日本の一地域のあるべき姿を示すことができると考えます。
経験を生かし地域からグローバルへ
バブル崩壊以降の十数年は経済サイクルというよりも経済運営の失敗による人的要因が大きかったと考えます。政治と経済は不可分のものとなってきています。学者ではなく、また官僚ではない、現実の経済で生き抜いてきている人材の進出が必要となってきています。経済運営の舵取りは世界における日本のこれからの道を示す重要なものとなります。
地域の活性化から交流を通じたアジア地域の安定、グローバル化の中での日本のあり方の模索は一つの枠組みの中で考えていけると考えます。それぞれを検証するにおいて厳しい現実が横たわっているのは事実ですが、そこにこそ、政治の果たすべき役割はあると考え、近藤和也の生きる道があると考えます。