(1/9)皆様に奥能登に入ることの自粛を求めています。私も3日に穴水町を出て以降、奥能登に戻っていません。少しでも早くこの地域に入りたいという気持ちを断腸の思いでこらえています。

能登半島沖地震が2007年3月に起きました。退社し故郷に戻ったのは7月。時期により避難所の数は減少しますが、約10ヵ所の避難所を2回訪問した中で皆様に言われたことは
「今までここに来んとなんしとったんや!」もしくは
「こんなところまで来て話を聞いてくれてありがとう」でした。
私を候補予定者だと認識されていない方がほとんどの中で、話をする中で政治関係者だと受けとめた方々が発せられた言葉です。

政治家に現状を見て話を聞いて欲しい!
これは被災者の切実な思いだと思います。
私の政治活動の原体験です。

そしてその上だからこそ今の葛藤です。
16年前、私を知る人は七尾中能登周辺の友人知人、3区の党員サポーターは3人でした。

全くの他人だった方々と時間をかけて12市町の皆様と今の関係があります。
キリコを担いだり、歌ったり、ごみ拾いや草刈りをしたり、山や町や海沿いを歩いて走って自転車に乗って泳いで、1件や2件も含む1100のすべての集落を街宣し、街宣車に乗って行き止まりの道を確認し境界線を体感することでむしろ満足をする。
地域間の距離や移動時間、迂回路、能登全域では私ほど詳しい人はいないと言えるほどの思いはあります。

早く顔をあわせたい、声を直接聞きたいという気持ちもありますし、私の姿を見ればどれだけ喜んでいただけるだろうという方々の顔が地域ごとで浮かんできます。

私の活動は不要不急ではないとの自負はありますが、今の段階は本当の専門職に任せるのが最適だと。また、自粛要請をした一人として自分自身が行ってはいかがかと。

皆様に感じていただきたいのは、こんな背景の私でも今は穴水町以北へ行くことを控えているということです。
奥能登は命の確保と最低限の復旧の段階です。
関心を持っていただくことに感謝申し上げます。
その上でご支援のお気持ちをどうかその都度その都度で状況に応じてお力をお貸し頂ければと思います。

どうかよろしくお願いいたします。