広野町(冬)

4f3136b13bcc8-dsc_0715.jpg役場横の桜の木。春はもうすぐです。

朝一の富山空港便で東京へ。
羽田からレンタカーで福島県広野町へ。久しぶりの訪問です。
広野町で昼食後、店主さんからも少しお話を伺いました。
いわき市に避難している学校の再開問題や町の対応については「文句も言いたいけど、言い過ぎると人間関係にもひびが入るし・・・」との迷いも。小さな町では皆さんが知り合いだけに、難しい問題です。

役場では職員の方からヒアリング。
復興交付金の申請や除染計画、復興計画等、一つ一つ着実に段階を経て進んできています。「ただ、防潮堤等の整備計画が進んでも、現実問題は一人ひとりの財産に関わることに住民の皆さんの関心が高く、もどかしい思いをしている。」とも。
今までに無い業務、住民との板挟みの中で、職員の中にもストレスで体調を崩され出勤困難な方もいらっしゃいます。国からの職員派遣の用意はあるようですが、「受け入れる為の準備そのもの」が負担だという現実。
他には、「国はそれぞれの自治体の意思を尊重すると言うけれど、任されても自分たちで方向性を出せないこともある。そこは国が主導してくれないと。」 というご意見も。

除染現場を訪問。

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試行錯誤の中、モデル事業は今のところは計画通りに進んできているとのこと。とは言いながら、単身赴任の方も多いうえ、冬場の作業は厳しく、屋根の上の作業もある中で心身ともに疲労が蓄積しているのではと感じます。本当に頭が下がります。広野町では今後は全戸除染へ向けて事業がスタートします。 作業をされていた浪江町出身の班長さんの「俺のところはいつ戻れるのか」との問いには、私も「一つ一つやっていくしかありません」という、なんとも情けない返事しかできませんでした。自分の無力さが辛いです。
辛いですが、進めていくしかありません。

除染処理物の仮置き場や堤防の復旧状況を確認後、馬場医院へ。

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馬場医院の小鹿山先生を訪問。小鹿山先生は石川県金沢市出身で、全町避難後も月曜だけですが診療を行っていて、それが石川県の新聞にも取り上げられていました。何度かの訪問でようやくお会いすることができました。
「医療も経営であり、補正でつけられた福島の地域医療を守る為の予算についても、地元の希望を受け止めた上でのものにして欲しい。」
「町がやっていることを、国はまじめに聞いて欲しい。」

専業農家の方を訪問。二度目の訪問です。
「とにかく米を作らせて欲しい。」
強い強い願いを伺いました。
隣りの川内村では今年は作付けはしないことを決め、広野町でも近日中に方針を決めるようです。
広野町では昨年も試験的に米の作付けを行い、この農家の方も含め、随分と低い数値が出たのですが、サンプルが少ないとのことで正式には認められなかったとのこと。
出来れば、
作りたい人は作る→全量検査する→高い数値のものは廃棄。低い数値のものは売る売らないは個別判断
として欲しいとの要望。
最初から作らないという選択肢はあり得ない、生活の糧を奪わないで欲しい。
自分たちのお米を待ってくれている人がいる。ただ、2年も連続で作らないとさすがに待ってくれない。
夏に緑、秋に黄金色に輝く景色を見ることで「広野は復興した!」と皆が感じることが出来るし、数値が低ければ町に人がもっと戻ってきやすくなる。全量の検査をすれば、高い数値が出たところを除染する等、除染も一律的にするより効果的になる。
「面倒なことを恐れていては復興は出来ない。」

岡田さんにご挨拶後、東京へ。
の予定が、翌日の東京の午前の予定が変更になり、急遽、いわき市のハワイアンリゾートへ。
「がんばっぺ、ふくしま」
の象徴的存在になってきているハワイアンリゾートの「フラガール」。
陽気な踊りにもやはり背後にあるものを感じずにはいれません。だからこそ熱いものがこみ上げてきます。

自分も頑張ろう。

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