解除後の広野町へ①

   

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↑3種類のうちのひとつです。
見事に育ってきています。

9月30日に福島第一原発から20キロ以上30キロ以内の緊急時避難準備区域の指定が解除されました。
広野町は唯一そのエリアに町ごとが入る町です。
そして国会も閉会となり、いつものように直広とレンタカーに乗り広野町を訪問。

コンビニが先月から再開し、家にも洗濯物もチラホラ。営業を再開したラーメン屋さんで食事をいただき、これが復旧の息吹だ!との思いも、前回訪問時(7月)から町内に戻られている方がほとんど変わっていないと聞かされると、都合よく考えようとする思いこみの空回りだと知らされてしまいます。甘くはありません。
いわき市内の広野町仮庁舎で山田町長や担当課長と面談。現時点における問題点と国の対応の現状について打ち合わせをさせていただきました。
再度広野町に戻り、廃棄物の仮置き場を訪問。町中から集まるものには放射線量の高いものもあり、線量の高低でも分別できるように仮置き場には線量計が欲しいとの要望もいただきました。
ある認定農家の方を訪問。広野町は作付け制限がかかっているため、 農作物をつくることができません。ただ、今後へ向けての準備も着実にすすめてきています。
①表土を5センチ剥いだ場所
②なにもしないそのままの場所
③泥に炭を混ぜた場所
①②③それぞれに稲を植え、来週には刈り取りをし、放射性物質がどれだけ検出されるか調査をします。
理想は②で高い数値が出なければ良いのですが、淡い理想だけでは未来へすすんでいけません。
食べることも出来ない稲を育てるお気持ちは大変つらいはずです。政治もその辛さを共有しなければいけません。
東電からの賠償の本払いについての受付が、作付け制限を受けている30キロ圏内のJAを介さない農家にはなされていないとのお話もいただきました。大変な問題です。
暗くもなり、いつもお世話になっている岡田さんの家でしばらく休ませていただき、今夜はかんぽの宿いわきへ。

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