広野町へ

   

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広野町役場の桜。
その美しさに感動と、寂しさが同居します。

早朝に災害ボランティア室の救援物資を積んだ車で直広と二人で福島県双葉郡広野町へ向け出発。
広野町は福島第1原発から南側、20キロ以上30キロ以内にすっぽりと入る地域。屋内退避指示圏内から緊急時避難準備区域となった自治体の一つで、3月12日に役場が町外に移転する全町避難を決めました。

現在、千葉へ避難中の広野町の知人と一緒に
いわき市湯本の仮庁舎へ行き、広野町長と面談。
仮庁舎は小野町から移動し今日より始動とのことでしたが、来庁者の方々が次々と来られて、行政の最前線の重要性をあらためて認識しました。また、自らが避難民でありながら、きびきびと動かれている庁舎の皆さんを頼もしく感じました。
山田広野町長より
・いかに元の生活に戻れるか、予算はもちろん、その手順を決めるためにも調査をしっかりとして欲しい。
・具体的には下水処理施設の修理が急務で現場や周辺を見てきて。
・自衛隊の協力が無いと復旧がおぼつかないのは確かだが、情報の伝達・共有が出来ていない。毎回の説明に手間を取られてしまう。
・特区的な考えで、現場に合わせた例外を認めさせて欲しい。それは政治家の役割。
・自分達は双葉郡6町2村の扇の要となり、復旧・復興の先駆けとなる。そのための支援を。
等、さらには、
・野党が協力しないという姿、民主党も内部で争っている姿は酷すぎる。自分たちにはそんなものは関係ない。「今」と戦っているんだ。
自分自身も情けない思いと、これではいけないという思いを噛みしめながら、仮庁舎を出、職員の方、広野町の知人と広野町内へ。

30キロ圏内に入ると、人気の感じない破壊されていない新築のような住居も目につき、破壊しつくされた石巻の海岸沿いで感じたものとは別の無力感や辛さが出てきます。ただ、これも現実。前を見定めて方針を出し、行動していかなくてはいけません。
途中で左折側の道の両側には「進入禁止」の立て看板。20キロ圏内という意味。20キロの内と外に何の違いがあるのか、目に見えないだけに役場で聞いた住民の皆さんの怒りも幾分か理解は出来るような気がします。30キロの内と外もまたしかりです。
下水処理施設は海岸のすぐ近く、橋げたも流されている中、近づくことは出来ませんでした。近くには自衛隊や電力関係の方々の作業の姿も見えました。
広野町の下水普及率は100%に近く、その分、処理施設が稼働しないと、住民の皆さんが戻ろうにもそのままだと大変なことになってしまいます。
これは広野町の問題であり、他の自治体の状況は分かりませんが、上水や消防施設、人的も含めた役場機能そのもの等々、各自治体によって問題の顔色が違い、一面的な施策だけではいけないということをあらためて痛感させられます。

また別に、広野町は先日おじゃました松島町と似たような条件下であり、それが、町民や関係者の一つの原動力にもなっていることも分かります。
通常では大災害ではあるものの、周辺近隣地域と比べると、周辺地域の復旧・復興のモデルや基地になり得るというその気概です。

それぞれにそれぞれがありそれぞれに光をあてる、かつ誰からも見える強い光を。
私自身が現在は歯車のどの部位か、これからどの部位であればいいのか、試行錯誤をしながらも、被災者の皆様や日本の役に立っていきたい、ただ、その思いです。

広野の知人も、新しく借りたいわき市の住居への引っ越し準備のため、千葉へ戻りました。
早く落ち着かせてあげたい、笑顔の彼の車を見送り、私達も帰路につきました。

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