被災地へ

   

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↑左が私、右が竹内たつやさん

松島町ボランティアセンターに到着。高橋昭一議員とともに松島町長に挨拶後、早々に作業開始。
私達の参加は42名、総勢で100名近くだったと思います。余計な気を使っていただかないように、議員や秘書を中心とした編成であることは伏せての参加です。
作業内容は観光施設や駐車場にある泥を土のう袋に詰めるというもの。想像以上に泥に粘りがありスコップからなかなか離れなく、どんどん手が重くなっていきます。匂いも相当なものでしたが、時間が経つにつれ泥が減っていく姿に復興への一歩の時間を皆さんと共有しました。
観光センターの2階では営業もしており、笹かまとフカヒレラーメンセットを買いました。商品数はまだまだ少ないものの着実に復興への道を進もうとされています。
別のボランティアグループの皆さんとも休憩時間に少しお話をさせていただきました。「何かしたい!」という思いでネット検索をしていたら松島町のボランティア募集が目に入り、二日前に急きょ参加を決めたそうです。
ボランティアの皆さんの思いと被災地での要請を結びつけることは容易ではありません。人数、作業内容、指揮系統等々、ある程度のものが整っていないと作業が進みません。
松島は今回の大震災において、他の地域と比べて被害が小さかった。多数のボランティアにお願いできるステージまで他の地域に比べて早く来ているとも言えます。家族で何度か来たことがある松島の水族館も無事だったようです。
途中に塩釜を経由してきましたが、被害はもっと大きかったように思います。「もっと大変なところの作業をした方がいいのでは」という思いも持ちましたが、お手伝いできるところから、回復できるところから回復していただく、これも一つの復興への手順だと思います。
日本三景の一つでもある松島。
目線を上げれば松島の海は災害があったことを全く感じさせません。
観光地としての受け入れ態勢の復活が、さらなる被害に苦しむ宮城県の他の地域や東北地方全体の復興の大きな原動力になることを願います。

午後の作業を終え、石巻へ移動。
100円の有料だった時何度も渡った日和大橋の通過前後、
信じられない光景に
言葉になりません。
自衛隊の隊員の姿が数多く見えました。
何から手をつけたらいいのかわからないとはこのことを言うのだと思いましたが、それでも何かが進んできていることは間違いありません。
海岸線に近い被害が甚大なところは正直、特殊能力のないボランティアの入る余地はないと感じました。
中里のバイパス周辺が泥がかぶっている状態で、駐車場等を見る限り松島に似たような状況に見えましたが、正直、「なぜこんなところまで津波が、どうやって来たんだ」との思いです。ただ、こういったところはボランティアの活動余地が大きいとも感じます。
また、どの地域かは確認していませんが、今日は同僚の議員の何名かは家屋内の泥や家具などの撤去作業を行っていたそうです。

大震災と一言で言っても地域によってその様相は全く違います。復旧・復興もそれぞれの段階に配慮が必要だとあらためて感じます。

大自然の前に人間の力のはかなさを感じずにはいれません。
でも、はかなくも頑張ってきた結果が今の私達の素晴らしい文化をつくってきていることは間違いありません。
負けたくはない、とは少し表現が違うかもしれません。自然に勝とうとすることに無理というか違和感はやはり感じずにはいれませんが、ただ、日本を残したい、文化を残したい、亡くなった方々に対しても私達が心を折るわけにはいかない、そのためにみんなで力を合わせて乗り越えていこう!
そういう思いです。
いつの日か克服・達成感とともに、人間の素晴らしさを感じる日が来ると信じます。

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