安易な批判と現実的な対応

昨年、ある関東の新聞が民主党には「綱領が無い」という記事を掲載していました。
安易な批判、としか言いようがありません。
「綱」は根本の決まり、「領」は大切な部分。「綱領」はもともと、「物事の大切なところ。眼目」の意味です。
政党にはその目指すところや活動の基本方針が必要であり、それが無いものは政党の体を成していないと言っても言い過ぎではないと言えます。現在の日本にはその必要なものには「綱領」が一般的になってきていますし、民主党にとって該当するのが「基本方針(マグナカルタ)や「マニフェスト」です。
日本では1890年に結成された立憲自由党から「綱領」を制定したのがその使用の最初。
その前に結成された板垣退助らの自由党や大隈重信らの立憲改進党では「結成総則」や「趣意書」をその目的として使用していました。
言わば、「綱領」や「結成総則」、「趣意書」は政党にとって必要な目標や基本政策、基本的立場を定めたもので、「綱領」というものはあくまでその「呼称」であって、「綱領無かずんば政党に非ず 」という表現自体が驕りや乱暴であるとしか言いようがありません。
「甲州法度」を持つ武田家が、「今川仮名目録」を有する今川家を指して 「今川家には法度が無い」、と批判しているようなものです。

マニフェストに対して「場当たり的な政策集にすぎない」との批判も、例えばその「綱領」があると自負する政党でも「小さな政府」については出しては引込めたことは「場当たり的な対応」としか言えませんし、その批判そのものが、「綱領」がその時代に応じて何度もその姿を変えてきたことを知識として所持していない浅はかな批判としか言いようがありません。さらには、その政党の信奉者には「憲法改正」が党是であるかのように信じきっている方もおられるようですが、「綱領」にその記述が無い期間のほうが長かったことはご存じないのではないでしょうか。

相手の批判は簡単です。
ただし、安易な批判はその勉強不足を露呈をし、恥をかくだけです。
批判の発信源の政党の過去からの綱領を読んでいないからこそ、このような安易な記事が書けるのでしょう。
その記事の最後の「デスクメモ」には
「恥ずかしながら民主党に(綱領が)ないことを知った。」
とありますが、
「恥ずかしげもなく、調査不足のままで、よくもまあこのような特集記事を出せるものだ」
と感じずにはおれません。

なお、民主党では「綱領」の作成へ向け動き出しました。
無用な議論を続けない「現実的な対応」とも言えますし、「現実に即応した」理念、基本方針を示し、国民の皆様に「夢」を提示することが期待されます。

朝起き会に参加。今日は志賀町富来地区。
七尾市武道協議会新春鏡開き式。
中能登町商工会新年互礼会。
七尾市、内灘町、津幡町訪問。

前の記事

次の記事

SSK