(9/30)今日の夕方前、避難所でお通夜と葬儀の告知の紙を建物の窓ガラスに貼っている途中の家族の方と会いました。仮設住宅の掲示板、集会所にも貼られていました。
ご遺体は数日前に発見されたとのことで、集落の人は見つかってまずはよかった、と声をかけていました。
今年の1月や2月と同じような会話が交わされています。
「同じ思いを他の人にもして欲しくないから、河川の改修をしっかりとして欲しい」。
悲しい訴えもいただきました。
崩れた山、崩れた家、崩れた心
流れの変わった川、砂ぼこり舞う集落、泥出しどころか畳も出せていない家、不安な山道や川沿いの道、もちろんガタガタ道。
電波、電気、水、使えない生活にまた戻ってしまった。
逃げた仮設住宅さえも床上浸水やがけ崩れや川岸の崩落が迫っている。
逃げたのに逃げ場所がない、この気持ちは当事者でなければなかなか分からないと思います。
解散総選挙の話が決まりかけています。
私自身、21日の豪雨以降も毎日奥能登の豪雨災害の酷かった地域や避難所、仮設住宅を伺っていますか、奥能登だけでも本当に広い。全ての地域をまわりきれていません。
皆さん政治に助けを求めています。寄り添って欲しいと願っています。
政府与党の方々には、手分けをしてでも厳しい集落を訪れて欲しい。
そうすれば、今は解散総選挙どころではない、明確に答えは出るはずです。