能登半島沖地震から15年。
その時はまだサラリーマンで、ちょうど顧客対象の学校の応援で甲子園球場にいました。
同年7月1日会社を辞め石川県に戻り、翌日に訪ねたのが輪島市門前地区でした。道下をはじめ他の自治体も含め10ヶ所前後の仮設住宅があり、当時の設置期限の2年直前までそれぞれ数度訪ね歩きました。
「今頃来るなんて遅い!」
帰ってから数ヶ月後、別の仮設住宅である方に怒られました。
続けて「あんたらっちゃ議員はこんな大事な時に来んと、何のために仕事しとるんや!」
正直、私は故郷に帰ってきたばかりで、もちろん議員でもありませんでしたので「なんで自分がここまで怒られないと‥」とも感じましたが、怒りと不安をぶつける相手がいない、寄り添う存在の大切さも教えられました。
1年経ち「被災している自分達の存在が忘れられるのが怖い」、2年経っても「災害は終わっていない」。
災害対策特別委員会や東日本大震災復興特別委員会など、私が災害対策に特に重きを置いているのは、政治活動の初期の体験があります。
政治は平時も大切、非常時はもっと大切。
今日は初めて参議院の災害対策特別委員会に豪雪対策法案の提出者として参加しました。
準備も大切です。