個人と組織と国益と

朝は財務金融部門会議から。
事業仕分け現地視察で独立行政法人中小企業基盤整備機構へ。蓮舫大臣同行ともあって、いつも以上にマスコミの方がいらっしゃいました。当独法は事業仕分け第三弾の最終日最終コマ。熱い議論となりそうです。
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事務所来客。
本会議。
国交省レク。
拡大政調役員会。
夜は再び資料とにらめっこ。

海保職員の情報漏えいについて、「情報公開」を盾にとってこれを正当化することはいかがでしょうか。
内部告発においてそれが「反社会的行為」であればそれは意味のあることになります。
ただ、今回のビデオに関しては、「国益にかかわるもの」であって、これに接触することが出来た者は国家公務員としての「職務上」であり、その情報の帰属は組織の所有物となります。この組織の所有物を内部に留めることは「反社会的行為」だったのでしょうか?
「正義」は争いの当事者それぞれが「正義」を主張するものであり、国家の場合はなおさらです。「正義」の暴走が戦争である、と定義出来るかもしれません。「正義」の正当性は非常に難しいものでもあります。
しかし、今回の国と職員の関係ではどうでしょうか。彼に「正義」を振りかざす資格はあるのでしょうか。 組織の所有物を外部に出すことをすべて肯定されるのであれば、その組織は立ち行かなくなります。
少なくとも「反組織的行為」であったことは間違いありません。

刎頸の交わりにおいて、隠し事はないにこしたことはありません。
国家間ではどうでしょうか。
すべての情報をオープンに、手持ちのカードをすべてさらけ出す国との交渉を考えれば、 こんなに与しやすい相手はありません。
現在進行形と過去完了では意味合いが全く違います。
すべてを知ることが「個人の知的欲求」を満たす為には必要なことかもしれませんが、それが国益、最終的には「国民個人の利益」を損なう可能性にも繋がることを認識しなければいけません。

少なくとも彼の「正義」は自分勝手なものであり、組織からみて「不正義」であり、国家としての競争力の源泉としての情報力という観点からも「正義」を主張することは出来ません。

中国人船長との処罰の軽重から海保職員を弁護する声もありますが、「質」が全く違います。

長々と書いてしまいましたが、私は政府の情報管理の杜撰さを弁護するつもりはありません。
「情報公開」の美名のもとで、「情報漏えい」が正当化され、さらには「国家としての力」が削ぎ落とされることを懸念しています。報道各機関も知って知らせることが業務ではありますが、自分たちが良くも悪くも世論を形成する、言いかえれば国益を左右することを認識をして冷静に対処していただきたいと思います。

来週から私は仕分け人として第三弾後半戦に臨みます。
私も仕分け作業を行う中で、このブログで対象事業の具体名をあげながら、「・・・・の・・・・は問題で」とは書いたことはありません。

カードは本番で。

当然です。

しっかりと組織に対して議論をし、「国益」を追求していきます。

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