倶利伽羅峠の戦い

7時40分より街宣開始。
富山との県境の52・大泊、53・南大呑、54・佐々波郵便局前、1時間程度漁業関係者の方と意見交換をし、55・百海(どうみ)、高松へバーベキューに参加。56・高松口、57・アクロス高松口、58・横山東、59・種、60・興津、61・河合谷、一旦富山県に入り、62・倶利伽羅峠、63・刈安、64・浅田、65・津幡跨線橋上、66・横浜、67・四ツ角、68・清水、69・英田(あがた)
本日は18カ所でした。さらに日焼けしました。
石川県には昨日の「七海」や今日の「百海」、「大泊」や「種」など、その地の風景や役割を意味し、行ったことのない方にも想像をかきたてさせる地名が沢山あります。地名って素晴らしいですね。66番の「横浜」はただめずらしいなあと思い車を急遽止め街宣をしました。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。

源義仲のような末路は望みませんが、倶利伽羅峠からの街宣は燃えました。しかも私はうし年です。
貴族化した政権を打ち倒す!いやおうなく力が入ります。
平治の乱から平家滅亡まで26年。
55年体制から53年。

国民のための政治を取り戻す戦いが始まります。